INFJの日記

日々思うことを書きます

自分には価値がない」と感じていた私の人生(後編)

 

この記事では今現在の私に至るまでの
個人的に波瀾万丈な人生を振り返る回となっております。
ご興味のある方は是非(前編)からお読みいただければ幸いです。


前記事からの続きになりますが、
精神病院を退院してからも、
私は精神科デイケアに通っていました。


その当時の私としては
職員としてではなく、
患者として、またいつか精神保健福祉士を受けるかも知れないから
という勉強の一環みたいな感じで参加していました。


が、そこで他の患者さんと過ごしていて思ったのですが、
「ここは俺のいる場所じゃない」
と感じるようになったのです。


今振り返っても必要なかったとは思いますが、
好奇心の強い私のことですから、
何事も経験したかったのでしょう。


デイケアに行かなくなり、
家でじっとしながら過ごす毎日。


暇で暇で逆に気が狂いそうでした。
親からは家に居ろと言われていましたが、
落ち着かなかったのです。


何も社会の役に立ってない気がして。


そんな自分が許せなかったんです。


退院しての1ヶ月は療養期間と言うか、
ニートの期間があったわけですが、
「何でもいいから仕事したい!じゃないと自分がダメになりそう!」
という思いから、
学生時代にアルバイトしていたスーパーで
またバイトで働くことにしました。
そうです、出戻りです。


当時の私としては、働ければ何でも良かったのです。
とりあえず、少しでも自分の存在意義が欲しい・・
大袈裟にいうとそんな感じだったのでしょう。


学生時代に3年間バイトしていたので、
慣れていたこともあり、
さほど仕事に苦労することはなかったのですが、
いつも心に引っかかる何かがありました。


なんでもないフリをしていたのですが、
親戚たちの目を気にしていました。
「またここで働きよるんか」
という言葉とともに怪訝な表情を浮かべる親戚。


「うん、そうよ」
の他に、大して言葉が浮かばなかったことを覚えています。


なんだかんだで10ヶ月ほど働き、
「このままではいけない」という思いが膨らみ、
私はまた求人情報を漁ったり、
市の職安に出向きました。


行き着いたのは高齢者の介護施設でした。
送り迎えのある、いわゆるデイサービスというやつです。


福祉系の専門学校を出たこともありますし、
その経緯を蔑ろにしたくなかったんだと思います。


真面目に努めて実務経験も積めば
今度は社会福祉士の受験資格も貰えるんですから。
とはいえ、当然ながら最初から相談員などさせてもらえるはずもなく、
介護職員として入社し、
おじいちゃんおばあちゃんの入浴介助、運動補助、
レクレーションなどを主にやっていました。


給料も少なくて大変なこともたくさんありましたが、
それでも私の中ではやりがいのある仕事だったと思います。
2年目の途中から相談員をやらせていただけることになりましたが、
読んで字の如くの“相談“業務みたいなのは特にありませんでした。


施設にもよるとは思いますが、
介護施設における相談員というのは、
だいたい事務的な業務になるところが大半だと思います。


それでも身になることがあればと
忙しく働いていたことを記憶しています。
そんなデイサービスの勤務時代に
私はプライベートで大きな問題を起こしてしまいました。
あえてここでは伏せておきますが、
人殺しなどはしていないので安心してください笑
(なんとなく察せるかな?)


その問題のために私はお金がいるようになり、
3年間努めていたデイサービスを辞めることに。
ちょうどその頃、通信で心理カウンセラーの資格を取得しました。
私の人生にこれから必要になるだろう、と強く思ったからです。


次に訪れた職場は比較的稼げる、
誰もが知っているような自動車会社の工場で
車を作る仕事に就きました。


塗装が終わったばかりの車両に
細かい部品を取り付けていく工程だったのですが
専門学校に入学する前に
“機械を見ながら仕事したくない“と思っていた私が
工場で働くことに違和感を覚えていました。
が、仕方なかったのです。


その時はお金が必要だったので。


二交代制の職場で生活サイクルも狂いがちで
口内炎も良く出来ていました。
「ここは自分の居場所ではない」と工場に勤務し始めた時から思ってはいましたが、一応その期間工を満期2年努めました。
その工場時代の勤務終わりがけに
また大便を漏らすとは思いませんでしたが・・


しかしその時は
トイレに行く途中でしたし、
パンツは汚染しましたが何とか隠蔽し、
誰からも何も言われなかったので自分からカミングアウトすると、
周りの誰も気づいてなかったようで、
“ウンコマン“と呼ばれるようになりましたが、
私の中では負い目のような気持ちはありませんでした。


しかし、自慢するわけではありませんが、
学校や職場でこんなに大便を漏らす人は他にいたでしょうか?
いたらコメントで教えてくださいね!


そんな胃腸の弱い私は
また介護に戻ることに決め、
今度は施設に直接雇用ではなく
派遣という形で働くことにしました。


派遣先はだいたい特別擁護老人ホームとか、
病院の認知症病棟などを派遣会社が受け持っていたようですから、
基本重度めの派遣先だったのでしょう。


私はその特養に半年と、病院の寝たきりの高齢者のいる病棟で
身辺介護に2年半携わりました。
当然の如くオムツ交換はあります。
もちろん夜勤や看取りもありました。


働いているなかで思うことはいろいろありましたが、
「自分はこの仕事は一生はしないな」
という思いはずっとありました。


なぜ介護に戻ったかというと、
福祉系の専門学校を出たし、親やばあちゃんのお金で
入学させてもらった分、裏切れないと思っていたからです。


しかし、福祉の面で環境でこれだという職場になかなか出会えない・・
実際に今福祉業界でお勤めの方としてはあるあるのテーマだと思います。


そんなモヤモヤした思いをずっと抱えながら、
気分転換に海岸でのゴミ拾いのボランティアに参加しました。


その団体の参加者はさほど多くはなかったのですが、
仲良くしてくださる方が数人いて、
その方々と食事に行ったのですが、
「ゴンくんは介護よりも人を癒す仕事の方が向いてるんじゃない?」
と言われ、その中の一人の方が通っているという
もみほぐしのお店でのセラピストを勧められ、
今に至ります。


あと4ヶ月ほどで
もみほぐしのセラピストも3年になりますが、
ご指名も月に20件程ではありますがいただけるようになり
ぼちぼち稼げてはいます。


そんな私が今、
新しく挑戦したいなと思っていることは
“心理カウンセラー“のような?
仕事をしたいと思っています。


こうして文章を書くことも
もちろんやりたいことなのですが、
こうした記事を少しでも読んで、
どこか親近感でも湧いてくれたら、
私は嬉しいなと思います。


是非思ったことなどがあれば、
コメント欄に書き込みお願いします。
皆さんの声も聞かせてください。


こんなにダラダラと長く話して、
私が言いたいことというのは
どんなに人生が生きづらくても、
“諦めない“ことと“諦めることが大事“
ということです。


矛盾してますね。笑


諦めないというのは、生き辛くても、
少しでも楽しみを見つけて生きること。
「きっと良くなる」ってどんなことがあっても思うこと。
我々のような人間のことを知らない人からしたら、
狂気の思考だと思います。笑
なぜか不幸の連続だったっていう方は他にもいるでしょう。
ただ、それが不動の強さであると、
私は34年生きてきて実感しています。


諦めることが大事というのは、
周りからの期待があっても、
あるいは自分への過度な期待があっても、
出来ないことは出来ないと明らかにすること。
「諦めるとは明らかにする、明らめる」
と、どこかの誰かが言っていたのを覚えています。
つまり、自分とはどんな人間で何が出来て何が出来ないのかを知り
出来ないことや弱い自分がいることは諦めて、
できることを少しづつやっていきましょうって話ですね。


最後に偉そうなことを申しましたが、
もう今の私は自分に価値がないなんて思っていません。


これから少しづつ、
日記みたいな、気づいたことや学んだことを
記述していきたいなと思います。


ここまで大変な長文をお読みいただき、
誠にありがとうございました。


イイね!とか頂けますと
大変励みになりますので、
何卒よろしくお願いしますm(_ _)m